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いらっしゃいませ

ようこそ別館ホームページへ

■私のライフワークとも云うべき白い冬景色は描き続けて早や30年になる。
何故雪に拘るのか…その理由(わけ)は自分でもよく分らないが、強いて言うなら色の中で白かが一番美しくて、物事の始まりであり、完結の終わりが無い様な色彩だからか。本来学問的には白は無彩色というのかもしれないが、敢えて私は無限の色だと解釈している。 だから、雪景色に限らず、花を描いても無意識に白い花を選んで描くことが多くなる。 見栄えなどを考えると、色彩豊富な絵の方が明るくて華やかなことは解ってはいるが、どうも自分の性分には合わないと勝手に決めている。 ついでに付け加えると、私の出身地は生まれも育ちも大阪で雪国には全くの無縁で、寒さも大の苦手である。そんな私が手掛ける作品を解説(エッセー)も交えながらごゆっくりとご鑑賞ください。                           (尚、本館からの移動に伴い当サイト内の不備な点があれば何卒ご容赦ください)

私の詳しいプロフィールに興味のある方はこちらからどうぞ。

それでは管理人のご案内でホームページ閲覧のバスが発車いたします。

北海道余市ニッカ工場

楽屋裏の話

時々普段描いたスケッチや描いている様子を見せて欲しいと言われることがある。普段も本番も別にないが、一様私は『作品』と『スケッチ』とは別なものとして扱っている。スケッチは作品のための取材メモに過ぎず、いわば楽屋裏のようなものなので、人様にはとても見せられないというのがが本音である。しかし素描とも言われるこのスケッチが後の作品制作に繋がり影響する。作家の実力は過去の大家が残したそれらを観ても解る通りで、それが自分の没後に公開されるなどとは当の作家も考えてもいなかっただろう。描き手の格闘の痕跡跡を覗いてみたいという気持は私にも分かる。気取りのない作家の息遣い(筆致)がどんなものなのか、そこから何か盗み取りたいという思いも確かにある。しかし、本来楽屋裏などというものは好んで無暗に見せるものではないと私は思っている。

別に企業秘密がある訳でもなく、作品作りの為に描いたスケッチはあくまで構想の段階で作品には至らず、故にそんなものを見せるつもりもなく、表現(思い)は手段を選び個々の手順に従って、最後に作品に昇華すればよいのである。試行錯誤の過程を見て貰うほど私が大物であれば別だが(笑)素描の類は栄養を取る為の食べ物でしかなく、普段何を食べているかなど恥ずかしくてお見せ出来ない。                               敢えて云うなら「作品」という最後の舞台(皿)の上に乗せたものだけが、自分なりに自信と責任を持って公開(食べて貰える)出来ると決めている。ただしこれはあくまでも私個人の考えであり、世には大勢の愛好家が居られてその方たちに熱心に指導されている先輩諸氏に対して、異論を挟むつもりもなく、ただ私は楽屋裏も本舞台も描き手が同じならどんな形でも同じだという考えにはどうしてもなれないだけで、他に何の対意もない事を付け加えておきたい。

※この記事はコンドル水彩画考寄り道編からの転載したもの(一部修正補足)

白い浜(山陰香住)
雪道(北海道釧路) 個人蔵
北海道小樽市街地

雪明かり

駅を描く

■日本列島の中には鉄道が東西南北縦横に走っている。中には過疎化のために廃線となった路線も多い。      一時は乗降客も多くて活気があった駅も、時代の流れで町も寂れて無人化の駅となり、やがては路線そのものが廃線となってしまった廃屋状態の駅も数多く点在している。しかし絵描きという我儘な人種は、そんな過去の遺産の様なものに言葉では語れない風情や哀感を見出すのである。まるで『兵どもの夢の跡』とでもいうのだろうか。  そんなわけで、私は全国の駅周辺の作品を沢山描いた中の抜粋をご覧ください。

流氷の駅
釧網線の駅・停車場

■冬場には駅のホームから接岸した流氷が観られる駅として有名で、一時は観光バス海外の   観光客が押し掛けたらしい(その訳は彼の国の映画のロケ地となったことから)       駅舎の中には喫茶店が有って、窓越しに流氷を眺めながら食べたハンバーグステーキが格別に美味しかったことを今で無も忘れられない。一日に列車が数本しか止まらないので、私に店のオーナーが「ちょっと留守番お願い出来ますか」と言って店を出て行った。まだ金も払ってないのに…こんなおおらかな人が多いのも北海道らしくていい。

■昔は札幌~小樽間はまだ電化されず沿線は長閑な海岸線に小さな漁港村が点在するところだった。ご多分にもれす小樽この開発が進み路線も完全電化となり、特急中心のダイヤで小さな駅は通過するだけの無人駅となる。                          そんな不便な駅に降りてしまうと、次の電車がいつ来るか分からない。周囲にはコンビニはおろか自販機すら無い。時折私の横を札幌からの特急列車が雪煙を舞い上げて通り過ぎる。その粉雪が私の上にも舞い降りるが、そんな事も絵を描く体感として刻まれるのである。     これは「絵は目と耳と心で描く」という私の持論にも通じている。

朦朧体で描く

■朦朧体(もうろうたい)とは、明治時代に横山大観や菱田春草などが試みた日本画の画風の一つで、輪郭線を使わずに色彩の濃淡で形や光を表現する技法で、西洋画の印象派や外光派の影響を受けているといわれている。朦朧体という名称は、明瞭さに欠けるという批判からつけられたもので、当時は「幽霊画」とも呼ばれていた。しかし、朦朧体は日本画に近代化と革新をもたらし、その後の没線彩画や発色の良い西洋絵具の導入につながった。代表作としては、横山大観の《菜の花歌意》や《流橙》、菱田春草の《落葉》や《王昭君》などがある。

朦朧体といいう表現は対象をわざと鮮明に描写せず、敢えて曖昧にすることによってよりリアル感が増すという東洋の詫び寂に通じる独自の世界観でもある。肉薄する様な鮮明さで描く西洋絵画との徹底的な違いがそんな部分に表れているのかもしれない。靄っていて一見よく分らない画面でも、描き手は緻密な計算立てながら描いている。それは正に東洋の武道にも通じる精神世界であるかもしれない。

■対象をわざとはっきりと描写せず、敢えて曖昧にすることによりリアル感を増そうとするのは東洋独自の世界観である。肉薄する様な鮮明さで表現する西洋絵画との徹底的な違いが、そんな部分にも表れているのかもしれないと私は考えている。靄っていて一見よく分らない画面でも、描き手は緻密な計算立てながら気合で描いている。それは別の意味の東洋の武道にも通じる精神世界でもあり、別に難しく考えなくても、古来からの日本風土(自然)に依って、日本人の感性を培われるのはごく当たり前のことである。たとえ油彩画を描いたとしても日本画になってしまうはずなのだ。西洋の表現が悪いというのではないが、何も無理をしてバタ臭い洋画を描く必要もなく、日本人の感性を大事にしながら透明水彩画にこれからも拘り続けたいと思っている。

更に私見ではあるが、見えたままきっちりと描くことより、敢えて曖昧にした方がリアルさが増すことかある。それは絵画そのものが本来は抽象的なもので、それをあまり理屈で説明しょうとすれば退屈した面白味にかける絵になる様に思ったりする。敢えて描かない(省略)が必要で、それこそが西洋絵画には無い大事な要素なのである。  私の論の随所に『マイナスの描法』或いは『腹八分目の判断』などと抽象的な言い方ながらも、透明水彩画を描く為には避けては通れない重要なテーマだからである。これでもかと描き過ぎるコトよりも、描かないで済ませる勇気の方がはるかに難しいのは、稚拙な私が云うまでもなく、多くの先輩諸氏が既に何度も経験されているはず。

■チョット箸休めにクリック╼ 街中の生活感を描く

尻無川(大阪)

絵物語

■嫁さんがまだ結婚前の若い頃
大阪船場の三越百貨店に勤めていたことがあるとを聞いたので描いた。
ライオンが玄関横に座っていたこの建物も今は無いが
ある年の個展でこのスケッチを並べた。
今は亡き関西水彩画の大御所にそのことを話すと
「あんた意外と愛妻家やな」と言われてしまった(笑)
一枚の絵には一つの物語があり、そんな部分も大切にしたいと思う。

白い店

■ある日兵庫県灘󠄀郷(なだごう)の酒蔵を描きに出掛けた。
あの阪神大震災の被災状況が完全に復興してない頃だった。
夏の暑い最中を歩き回って、偶然見つけた雑貨店で。
古い民家を再利用した小さな店だったが、夏の陽射しに照らされて白い壁が印象的だった。
一体どんな人がオーナーなのか?と思いながらスケッチしていたが
カランラランと鳴るドアのベル押して店に入る勇気はなかった。
遠い灘󠄀まで行って酒蔵を描かずに、こんなありふれたものを描く・・・
             案外ものごとの「縁」とはそうしたものかもしれない。                                      振り返るとそんなことの繰り返しだった様な気もする。

condorのアバター

大阪物語

■生まれも育ちも大阪の私は勿論大阪の絵も幾つか描いている。まだ絵描きとしても駆け出しの頃なので、とにかく近場を手当たり次第に描いていた頃が懐かしく思い出される。

大阪中の島のボート乗り場

■大阪市内も昔と今とは随分変わり(よく言えば開けて)近代的な大都市になった。昔あった街並の風情が無くなりどこも画一的になった様に思う。上のボート乗り場からボートに乗って慣れぬ手つきで中の島の先端部まで漕いで行ったのも遠い思い出だが、もうこのトタンぶきの小屋も今は無い。画面には描いてないがこのボート乗り場の後ろには修復された赤レンガの中の島中央公会堂が現在も誇らしげ立っている。

■大阪の中の島周辺は昔からセーヌ河畔に似た佇まいがあって、絵を描く人が集まっていた。

全国各地を転戦

尾道水道
那覇の赤提灯(沖縄)

春の嵐山

■下のサムネールをタップすると、別画面の拡大画像を観ることが出来ます。

静 物
ヌードな日常
夢物語

■余呉湖雪景(滋賀県) 個人蔵

上富良野の朝

利尻遠望(蝦夷富士)

サロベツ原野に浮かぶ島
2004年1月23日

札幌から宗谷本線の特急で5時間「豊富」に着く。
広大な雪野が地平まで続く”サロベツ原野”は海岸線まで広がり、
冬場のこの時期は訪れる人も無く動植物さえ深い眠りについていた。
その原野を抜けると稚咲内海岸に出る。
沖合いには蝦夷富士とも呼ばれる利尻島が浮かび
その後ろには花の浮島礼文島が連なっている。
雪と氷に閉ざされた海岸線を南北に一本の道路が走り稚内へと通じていた。

毎年当ても無く道内を巡り、北の冬景色を描いてきたが、
このサロベツの地ほど春を待つにふさわしい光景はなかった。
ようやく辿り着いた終着点ような思いがする。
寒さを忘れ何時間も私は雪原に立ち波音を聞きながら・・・
極寒のこの地が春を迎えて残雪のあの利尻を背に花咲く大地を思い浮かべた。
春になったらまた戻って来る。
冬から春へと自身の新たな進路を開く為にも。。。

  “寒空を見上げて高くオリオンの  輝き見えし我が心にも”  

白い丘

武田信玄の旗印

あの戦国武将武田信玄の旗印が「風林火山」であることは有名。この四文字が絵とどんな関係があるのか?元々は闘いの兵法論だが、それが透明水彩画を描く上でもピッタリと当てはまると私は考えている。
ご承知の通り透明水彩画はその性質から終始時間との闘いである。瞬時の決断や判断の「攻防」と言っても過言ではない。紙の上では絵の具が動き、乾くのも早く修正やミスは許されない。画面の上ですばやく作業を進める為には「策」が必要となる。つまり「風」の如き素早さで判断をして筆を走らさねばならない。また、ある程度事前の計画を立てて取り掛からなければゴチャゴチャになる。まさしく「林」のように静かに攻略の計算を立てて取り掛からなければ失敗する。そしてひとたび意を決して描くものを捉えたなら、躊躇せず今度は画面に向かって思いをぶつける。まさしくそれは「火」のような勢いで筆を走らせ、あるときははやる気持ちを抑えて絵の具の乾きを待つことも必要で、それは動かないこと「山」の如きなのである。

落ち着いて急ぐ・・・大胆な中に先を読んだ計算。作画中にも思わぬ(予想外)の事が起きる場合もある。そんなときも落ち着いて対処すること。けっして慌てたり諦めてはにらない。最後に勝てばよいのである。こうやればこうなると言う必然もあれば、意外な偶然も透明水彩画には常につきものなのだ。また、出来の良し悪しは一瞬にして決まってしまうのも水彩画のだいご味(魅力)であり、難しさかもしれない。最初の一筆を置くときのあの緊張感は、経験した者でしか解らないが、そk

その緊張に負けてはならない。その為にも自分なりの攻略法を決めておくのが大事だと思う。いわばそれは自分だけの手順でよい。必ずしも風林火山でなければならないこともないが、私の経験上からこの旗印を何時も背中に立てて(笑)たった一人の戦いに挑むのである。そうすることで一種のリズムが身に付く様になるのである。スポーツも料理人もその道にはそれぞれの風林火山が有るのかもしれないと思うと、別の意味でも面白い。

■通りすがりの地元の人が「こんなとこ絵なんか描く所なんかなんも無いしょ」と言う。  私は「何も無いからやって来た」と応えるが解らない様子。

■卓上の静物たち

■風景画を専門にしているので、それ以外のものは基本的にはあまり描かないが、室内の教室等で指導する関係上そうとばかり言ってられない。しかし、私は風景を描いていても、その対象の前後には人の営みや、囁きが聞こえそうな場面を探している。ただの綺麗な観光地的な作品は描きたいと思わない。それはたとえ花一輪にしても同じように眺めて描いている。つまり、卓上の花であつても、私には風景の一部に見えるのである。またそうでなければならないと思っている。手当たり次第にただ描いているのではないことも、解って頂ければ幸いである。

■其の①花
花菖蒲

いろはにほへどちりぬるを・・・

ダンスパーティー(ドライの額紫陽花)
■左近の紫陽花
■右近の紫陽花
秋明菊
ベゴニア
山茶花
額紫陽花
曼殊沙華
紫木蓮

訪問者
段 菊

紫木蓮

■琵琶の実

■花屋さんの豪華な花もよいけれど
路傍の隅に咲いてる小さな花が自分の性には合っている

もうひとつの世界

■静物画には風景にない要素が幾つかある。
そのひとつに主題の周りの空間(バック)がある。
但し、この場合は室内の一角にある静物ではなく、あくまでも卓上に置かれた物ということで実はこれは描くモチーフが立つ『舞台背景』のようなもので大変重要である。目立ち過ぎても、意味が無くても背景にはならず、この処理を間違えると折角の役者(主題)も全部が台無しになりかねない。私はそれを『奥行きをイメージさせる空気感』と呼んでいるが、逆にこれが成功するとなにを描いても画面上に存在感のある作品が描けるはずである。
画面の前方から奥へと向かって引っ込まなければならない空間が必要で、それは単なるバックではなく『空間』なのである。透明水彩画(他の仕事でも)の大事なポイントは、描いて前に前進させるのではなく、描いてもなお奥に引っ込める為の計算が必要ではないかと思う。ところがバックの空気感といっても何等かの色を決めて塗らなければならないが、そのときに例えば天井に有る(或いは窓から差し込む)光源を何色にするかを考えると決め易くなる。その放つ光の色で辺りの空気が同じ色に染まるはずで、当然モチーフ本体にもその光源の色は反映され、
それが画面全体の『基本色調』へと繋がっていなければならない。デパートのショーウィンドに当てられる照明は、より商品が良く観えるようにと計算されているのも同じである。

では風景画には存在しない静物画の『背景』とはなにか、                二次元の紙の上に、三次元(奥行き)を表出させる重要な役割を果たすものだと理解すればよいかもしれない。主題に囚われてそれが後回しにされがちな背景が、もし塗っただけの壁のようになったり、色紙の上に主役を切り抜いて貼った様になってしまった経験は誰にでもある。 風景画を専門にする筆者が偉そうには言えないが、描く対象(世界)が限定される静物であっても、無限に広がる風景であっても、一番難しいのはその場を取り巻く周りの見えない空間であり、それを如何にそれらしく現すかがポイントだと思っている。卓上に置かれた無機物な静物であっても、風景の一部として捉えることが出来たなら、たとえ一輪の花でも空気感を持ってそこに『存在するように』伝わるのではないかと思うのである。

いささか回りくどい言い方になってしまったが、要は自然な実在感を一枚の紙の上にあらゆる要素を駆使して描く、それが絵を描くということなのだ。そしてそれは意外と見落としがちな分部にこそ有る様な気がするという話なのである。

【講座実践編其の17~転載】

蘭 舞
クルミと青いポット

過ぎし宴

卓上静物其の②

珍しい物を描く

■私が作品を描くとき最も大事に意識することは「品の無い絵は描かないようにする」である。抽象的ではあるが、下品で卑しい粗雑な作品は客観的に観ても気分が良くない。勿論絵描きたる者がそんな作品を描こうとするわけもなく、結果的に本人の内面が無意識に現れるものだと思う。実はその事が一番怖いことなのだ。かといってわざとらしく格好つけても所詮は表に現れる。では一体どうすれば?所詮は感覚的な部分で答えなど探してもない。たとえ身は世俗の埃に塗れても精神の気高さだけは凛として持ち続けたい。                   それが私流儀の絵描き道だと思っている。
■商品にならない野菜たち