■別コンテンツでは詳しく解説しているが、私の描く水彩画は徹底して透明水彩画に拘り続けている。 紙に水で絵の具薄めて描く絵といえば、誰でも子供の頃に描いた経験があるのが水彩画だが、あれは厳密にいえば 不透明水彩画で一般的にはグワッシュとも呼ばれる絵の具で透明水彩画絵の具とは全く違うものである。何故私がこの透明水彩画を選んだのか…今となっては定かではないが、たまたま使って描いた絵がこの絵の具であっただけかももしれない。(もう40年以上も昔のこと) 以来絵を描くことが子供の頃から好きだった私は、脇目もふらず独学で透明水彩画一筋に没頭したのである。暗中模索ながらも本来あるべき透明水彩画を自分なりに求め続けた結果、現在むの画風に辿り着いたと生意気ながら思っている。その経緯はコンドル流透明水彩画考をご覧ください。
作品制作枚数
■一人の作家が生涯描き出す作品の点数は一体どれくらいあるものだろうか?
仕事の中身(分野)や個人差によると思うが、私の場合は自慢ではないが非常に少ない。
寸暇を惜しんで作品作りに明け暮れる作家も人も居るが、私はいたって怠け者で自慢ではないが作品の数は少ない。だから上達も成長も期待出来ない(苦笑)そんな事でプロの絵描きと言えるのか!と叱られそうだが事実だからしょうがない。具体的な枚数は云えないが、他の作家の10分の1にも届かないと思っても間違いがない。
勿論その気になれば水彩画なので、一日に何枚も描けるのは承知しているが、数を描くだけでどうするのか?自己研鑽の為か、それともお金儲けの為かよく解らないが、他の作家の皆さんはとにかくよく描かれるが私は絵を描かない絵描きで今も通している(笑)
ある作家は生涯に数千点の作品を残したなどと聞くと、そのエネルギーは凄いものだと感心させられる。またそれくらいの執念が無ければひとつの境地には到達出来ないのとも理解しているのだが、取り組む他の仕事(分野)と違い水彩画は決着が早いのが特性で、それが欠点かもしれないと思っている。つまり水彩はスケッチ、エスキース程度のものであって、タブロー(作品)にはならないという間違った認識がまだまだ一部にはあって、私はその単なるスケツチではなく完成された作品と捉えて、じつくりと取り組める仕事にしたいと昔から思っている。湯水の如き制作意欲が湧き上がる程の才人でもなく、まして売れっ子作家でも毛頭無い筆者がそんなに多作をする必要も無い。勿論期限付きで依頼を受けての仕事となれば当然仕事として描きもするが、よほどで無い限りはむやみには描かないことを信条のひとつにしている。
日頃は絵の具を見るのもウンザリして(笑)少なくともストレス解消や、気分転換などにはとてもなりえないのである。逆に絵を描かない時間の方がよっぽど気分転換になったりするものなのである(笑)
困ったものだと我ながら思わなくもないが、ひょっとして職業絵描きとはこんなものかもしれないとも思う部分もあったりする。
多作は駄作に通じる危険性
■私は「充電期間」と称して筆を取らない期間が長い、期間限定で年に数回だけ集中的に「放電」?の様に制作する。漏電ではない(笑)それが私の制作スタイルにいつの間にやらなっている。早い話がホイホイと気楽に描けない性質なのである。或いは「欲」が乏しいのかもしれないと自分でも思う。
昔ある絵の先輩が私に・・・
「そんなことではこの厳しい世界では生きて生けないぞ!」と言った。確かにそうだ。
だが私はこんな調子で今日まで生きてきた。この先どうなるのか解らないが、やっぱりこのままのスタイルで限られた少ない枚数の作品をそれでも必死で描いて行くだろうなと思う。
名誉欲に取りつかれたり、金銭欲の亡者になるくらいなら、はるか昔にこの世界から足を洗って姿を消している(笑)
脅迫観念に取り付かれ、がむしゃらに描いていた若い頃もあったが、今から思えば仕事の中味が非常に浅く、結局自分が絵を描くことを楽しんでしまっていた。それは某関西の吉○○劇のタレントの如きで中味が無い(__)彼らにもそれなりの苦労があったとしても、観客にそう感じさせてしまっては如何かと思うのである。
数描くうちに当たる・・・というのも可笑しな話で、作品とはそんなものでもない。
自分の画境を研鑽する為に、ひたすら描きその過程で新たなものを身に付けていくという飽くなき努力の必要性は認めるが別項にも記した通り意外と技術が達者になれば中味よりも要領が先行してしまうのではないかと私は思うしこれは大きな落とし穴で一度落ちると容易には這い上がれない。
■インドの山奥には一生涯掛かって一枚の絨緞を織る職人が居るらしい。それが人生の全てを賭けた仕事なのである。ものすごく飛躍した話だが精神が何となく理解出来る。数や量が物事の全ての判断の基準となるのはあまりにも一面的すぎるのではないだろうか。
具体的に目に見えるものを描くのでは無く、見えないものを描きたいと拘る私の想いとようやくここで一致するのである。人にはそれぞれの拘りとスタンスがあり、どんな形を取るのかも自由である。それは他人から見ると馬鹿げた理屈でかもしれない。しかし、この自分なりの「理屈」が一貫した作品性に繋がるのではないかと思うのである。
どうしても必要に迫られて、止むに止まれぬ気持ちで筆を執る・・・それが本来の絵描きの姿なのかも知れないと思いながらも、それすらもままならない。。。何故ならここはインドの山奥でもなく欲と過飾が渦巻く日本。それこそこんな夢物語が通用するほど甘くはないとも解かりつつ広い世間にはこんな絵描きも居るということを心に留めておいて頂きたいと願う。 【講座寄り道編其の9~転載】
■木立が枯れ川面が凍る極寒の北国
ありきたりの光景かもしれないがなんとも美しい
冬の景色には色が無いと言うが
私には宝石箱の様にキラキラ輝く色彩が
この川を渡って来るかのように思える
北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで暖かくなる・・・♪
昔のこんな歌を思いだした
だから冬の道なのである
【600㎜×350㎜/アルッシュ紙/newton colours/個人蔵】
画 歴
■ひとりの作家の過去から現在までの活動を年譜に纏めたものを一般的に『画歴』という。
広義に解釈すれば諸々の作家活動中での学歴、美術団体の賞歴及び出版、海外渡航等もこれに含まれる。作家活動も多様化の時代で当然全てが自主申告である。
年齢が相当高い作家になれば、諸々の画歴を羅列すればきりがないのは当然のことだが、その事細かな戦歴(?)をまるで履歴書の職歴のように書き出しているご人も見掛ける。別にご本人のことなので構わないが『いかにも』という感じがしないわけでもない。
多種多様な経験を経てそれを『画歴』として表明することは自由なのだが、過ぎてしまった過去など、観る側にとってさほど重要なことではない。大事なのは今なわけで、更にはそこから始まる未来の方がもっと大事である。まして物故作家亡ならともかく、まだ現役の作家であるなら現在が全てを語るはずである。
人それぞれに環境や目的の違いもあって一概には言えないが、少なくとも画歴などというい曖昧なものに左右される時代では既にもうない。生意気かもしれないが、40年昔に初個展を開いたときから私は無所属を通してきた。そんな絵描きからすれば画歴などうでも良いことのひとつなのである。
とはいえ独学我流の水彩画を続けるには、自己顕示欲が強くなければならず、消極的ではプロとして生きては行けない世界であることも充分理解しているつもりである。
しかし、性分に合わない事は出来ないし、自分も他人も適当に誤魔化して上手に世渡り出来るくらいならとっくにこの世界から足を洗っているだろう(笑)別に突っ張っているつもりはないが『あいつはいったい何様のつもりだ!』と反感や睨まれたりしても、寄るべき大樹を持たない一匹狼が、この業界で生き抜く為には自分なりの声で吼え続けるしかない。おそらくこれから先もこのスタイルは変わらないだろう。俗に言う『画歴』というものは白紙でも絵描きとしての「明確実な足跡」を自分なりに残せたなら私はそれで充分なのである。 【講座寄り道編52~転載】
■何度も冬の北海道へ出掛けた。
不思議なことに積る雪は昔も今も変わらないが
絵に描くと雪の色が年々少しづつ変化するのが分かる。
それは技術なのか、それとも感性なのか?
自分では同じように描いているつもりだが
時々昔の想いや、足跡を辿るのも新たな発見に繋がるような気がする。
【白と黒の風景/北海道銭函】
腹八分目
■体型が違うと胃袋も各々まちまちで、量的には何とも言えないが要は欲を出して食べすぎに注意をする事が大事だと云われる。絵も多少気にいらない箇所があっても「我慢」して筆が止められると壊れずにすむ(笑)
当然ながら、はるか手前で止めてしまえばそれは単なる手抜きか未完成で栄養失調の原因ともなる。ちょうどバナナに食べ頃があるように、頃合というものはただ一点しかないと思って勇気を持って「これで今日は終わりだ!」と叫んで筆を置くことが大事で難しい。
過度な混色を避け、重色も3回程度で完成させるようにすると重たくならないで済む。水彩画独自の筆法をマスターすれば、筆先が決まり無用な動きが無くなり結果垢抜けした仕上がりになる。ハイライトとアクセントを的確に取り込めば画面は生き生きと輝く。例え失敗しても気にせず描き進めること、修正しょうとするとよけいに深みに落ちる(笑)
ホップ・ステップ・ジャンプの要領で手際よく計画的に作業を進めると透明感を失わず彩度も色相も鈍らずに済むこともある。水彩画だけではないが、この大事な「一線」を越えてしまうと後はひたすら壊れる方向に加速度的に転がり落ちる。そのタイミングは理屈ではなく、今更言うまでもないが透明水彩画は故に他のどの分野よりも難しく手ごわいのである。もしも満足がいかなければ、再度一から描けばいいだけのこと。無理してダラダラ描こうとすると深みにはまり込むのが透明水彩画なのである。
最初の描き出す瞬間に勇気が要る様に、筆を上げる(終える)時には更に決断力が必要なのである(諦めでなく)
潔さ・・・それは表現世界の極意であり永遠のテーマかもしれない。
モチーフを選ぶ
■作品を描く上で最も重要なものが「何を描くか」である。
コレが決まれば半分は出来たようなもので後は描くだけと言ってよい。
ところが・・・一度迷うとこれがなかなか決まらず、最後は変な妥協で描き始める事になる。
まして静物と違い、風景となれば360度が描く対象となり得るから難しい。
また描きたいと思うものを見つけるだけの事でも、途中で興味が薄れて自分は一体何を描こうとしていたのか分からなくなって、半ば成り行きで描いた経験は数限りなくある(笑)
知識や目が肥えて実力以上のものに挑んで、無残な敗北感を味わうこともある。
絵を描くという事は、マラソンに似ている。
つまり一度走り出すと後はゴールを目指して自分なりにひたすら走り続けるだけ(そんな事は誰でも知っている(笑)では何故このレースに挑むのか、其の為の普段の準備は万全なのか、そんな事が勝敗を大きく左右するのがマラソンである。
絵の場合いもただ漠然と描くだけではゴールには辿り着けないだろう。これから描こうとする対象をじっくりと見極めて計画的に作画作業を進める必要がある。作品になりそうな物や場所を普段から心掛けておくくらいの習慣もつけるべきかもしれない。意外と日常の自然な目で見た方が面白いものが目に止まるもので「さあーこれから描くぞうー」と意気込んで描くべきものを探す様では間に合わないこともある。
今夜ワインが飲みたいと思い立ち葡萄を搾るようなもので(笑)確かに水彩は鼻歌まじりで気楽に描ける媒体と思われがちだが(それを否定はしないが)たとえ一枚のスケツチでも疎かにしないという意識は普段からあってこそ、本当に楽しくなるのではないだろうか。
ちなみにマラソンは勝ち負けでも、絵を描く我々は完走する事が目標で、自分自身の為に走り続けるものでなければならないと私は思う。早いばかりが水彩画ではないし、何でもかんでもただ描けばよいわけではないと敢えて申し上げておきたい。 たかが水彩、なれど水彩”
【講座実践編其の7~転載】
■北限の港
空も海も閉ざされたような日本最北端の地稚内
流氷の海は漁船を退け、波音さえ氷つかせるようであった
訪れる人さえもなく辺りは閑散としていたが
どこから付いてきたのか真っ白な樺太犬の二匹の子犬が
私の足元で雪にまみれてじゃれついていた
広い見知らぬ土地で何日間も誰とも口を利かない私は
思わず彼らに話し掛けてしまったのを覚えている
この海は何処へ続くのか・・・
私の求める画境もまた何処にあるのだろうか
凍てつく街
冬の小樽へは何度も出掛けた
港の風が厳しく道路まで凍る
昔は栄えたこの街も今は観光一色
へそ曲がりの筆者はわざと路地裏を歩く
そこには表通りには無い匂いがあり風情があるから好きなのだ
(北海道小樽/260㎜×210㎜)
小樽の街
漁業、海運が盛んな頃は道内屈指の街だった小樽には
当時の古い建物がそのまま姿を変えて沢山残っている。
中でもひときは目に着くのが漁業ランプで財を成した「北一硝子」関連の建物。
街の活性化に観光ガラスに着目して、ベネチァにも負けないまでに有名にした。
赤い煉瓦の窓にランプの灯り・・・そこに雪でも降ればもうそれだけで絵の世界。
“しばれる”寒さのこの街にはランプの様な暖かさが感じられるのは気のせいだろうか。
昔流行った東京ロマンチカの「♪小樽の女よ」が口を付く。
【520㎜×370㎜)/アルシュ紙300g/newton colours】
富良野雪景
春にも何度か訪れたことがある富良野。
ラベンダー畑が丘陵に果てしなく広がる北海道の観光スポット。
しかし流石にこの季節には訪れる人の姿は殆どない。(当時)
冬場のなんにも無いこんな処へ来る者はよほどのもの好きか。
『怪しい者ではないよ』と言い訳をしながら歩く自分が可笑しかった。
【590㎜×400㎜)アルッシュ中目300g/newton colours】