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■よく自分は下手で自信がないと言う人がいる。
自信なんて誰も最初から持っている者はいないが
自信を持たなければ何事も一歩も始まらないのも確かである。
それはスポーツもビジネスも皆同じである。
謙虚さの意味でならまだよいが、他者と比べた相対でどうだとか
努力の足りなさの隠れ蓑にいうのは如何かと思う。
例えば二年やれば二年分の自信を持ってもよい訳で
二年ほどないのに、五年や十年の様に思い込むのは良くない。
また「いくら周囲がそんなことないよ」と言ったとしても
本人がそう思えなければ何の励ましや慰めにもにもならない。
自分の努力と思いに向き合ったその上で
誰に遠慮することなく
自分なりの自信は持つべきだと私は何時も思っている。

そんな私流の種々の考え方を(↓)のリンク先に纏めてあります。
興味のある方はクリックしてみてください。

コンドル流水彩画考
■横の人物は故人のe氏が若き日(30年前)の私を描いてくれたものです。

■よく自分は下手で自信がないと言う人がいる。          自信なんて誰も最初から持っている者はいないが 自信を持たなければ何事も一歩も始まらないのも確かである。 それはスポーツもビジネスも皆同じである。                        謙虚さの意味でならまだよいが、他者と比べた相対でどうだとか 努力の足りなさの隠れ蓑にいうのは如何かと思う。           例えば二年やれば二年分の自信を持ってもよい訳で 二年ほどないのに、五年や十年の様に思い込むのは良くない。           また「いくら周囲がそんなことないよ」と言ったとしても 本人がそう思えなければ何の励ましや慰めにもにもならない。            自分の努力と思いに向き合ったその上で 誰に遠慮することなく 自分なりの自信は持つべきだと私は何時も思っている。 そんな私流の種々の考え方を(↓)のリンク先に纏めてあります。 もし興味のある方は↓linkクリックしてみてください。

コンドル流水彩画考



コカ・コーラへの道

■コカ・コーラへの道(?)
かつては地域の住民にとって便利な店も人口が減って廃墟となる。
昔はよく見掛けたブリキの看板(水原浩のキンチョールや松山容子の ボンカレー)が寂びた廃虚にそのまま残ってたりするが、当時は花形看板だった。この壊れた万屋の店の屋根のコカ・コーラが同じ様に目に止まった。回顧趣味ではないけれども、私もちょっとひと昔の自分に帰りたいなどと思いながら描いた。だから題名も「コカ・コーラへの道」とした。
【北海道白糠町庶路/380mm×250mm/アルシュ300g/newton colours】

■卓上の静物たち

物を上から吊り下げて描く

■吊るすと上から垂直に目線が動く構図になるので面白い。

■男子は元々こんな玩具が子供の頃から大好きなんです。                          その理由はよく分らないのですが、きっと女性が花を好むのと同じで、ミトコンドリアのレベルでそうなっている様な気がします。生涯童心(どうしん) を失わないという意味からも大事にしたいモチーフです。だから、下のこんな忘れ去られた自転車でも描いてみたくなるのかなと思います。     

■其の③実(み)物を描く

■あまり大きなサイズには向かないが、小さく気楽な箸休め的には枝もの(実もの)が丁度いい。            

綿の実

卓上静物

■絵画には風景画、人物画、そして静物画の三つのジャンルがあることは誰でも知っている。              専門的に細かく分ければまだ細分化出来るかもしれないが、それはされとして静物画とは、花や果物、人形等を描いた絵のことを一般的には静物画と呼ばれることが多い。しかし庭の一角で咲く薔薇の花を描いた絵は静物画なのか?それとも風景画I\になるのか?そんなことはどっちでもいいと言う意見もあるだろうし、作者が自分で決めればいいことだと言われるとそうなる。或いはそんな古い分類そのものが現代に合わないような気もする。

では卓上静物画とはなんなのか                                      私の個人的な考えでは室内の一角にある卓上(テーブルでなくても)に置かれたモチーフを描いた作品を卓上静物と定義したいと思っている。古くから花鳥風月と呼ばれる日本画はそういう意味では西洋の卓上ではない空間が表現されているので、単なる静物画の枠には入らない独自の世界観があって更に難しい。

以下に掲載した数点の作品は「卓上静物」であることを意識して描いたものである。

収 獲

■綿の実

スーパーには無い野菜達

■家の近くに週の何日かだけ京都から自家製の野菜を車に積んで売りに来る老夫婦がいる。
トタン拭きのお世辞にでも立派な店構えではないか、持ち込まれる野菜は都会のスーパーなどでは見掛けることのない、つまり絵を描く者にとっては宝の山なのだ。
不定期なので運が良ければ珍しいモチーフをゲットすることができる。最近では顔見知りになって「栗は有る?」と尋ねるともうすぐ成ると言うので、枝付きの栗を頼んでおいたところ電話で届いたことを知らせてくれた。
店の老夫婦にとって絵のモチーフは綺麗でない方がよいと説明しても、いまいち伝わらないみたいだが、どうにか私が絵描きであることだけは解かってくれたみたいである。