■本来は風景を専門に描いているのですが、コロナ禍の影響もあって 出掛けた時に駅のホームで次の電車が来る数分間、A4コピー紙に鉛筆で描いています。遊びのようなスケッチですが、世相観察の意味でも面白いものです。ただひとつ残念なのが令和の年は新型コロナの蔓延で、人々はマスク必須で、顔の表情の半分が隠れ下向き加減てどの人も元気がない。 こんな時代の世相を記録するのもそれなりの価値があるかもしれないと思いつつ早や三年が過ぎてしまった。
■乗り継ぎの駅では次の電車が来るまで5~10分待つことになるので、その間に4~5枚のスケッチが描ける(一枚2.3分)あまりジロジロ見ることも出来ず、さりげなく素早くがポイントだが慣れないと手が走らないし、夢中になり過ぎて電車に乗り遅れることもある(笑)
母子像
■街中では様々な親子の姿を観ることがあるが、特に母親と子供の光景に惹かれてよく描く。子供にとっての母親は生涯通してかけがえのない存在で、その無言の愛情が後ろ姿からも伝わってくるような気がする。スケッチとはそんな情感までも描き留めることではないかと思う。
若者達
■青春時代は過ぎてしまってから懐かしく思うものである。真っ只中に居る時はそれが当たり前すぎて何とも思わないものだ。誰にでもあったこの一時期が掛け替えのない輝きの日々だったと甦るのも、そんな若者達と今の自分を重ね合わせなが遠くから眺めているときかもしれない。絵を描くということは、描く対象を借りて自分探しをしている作業だと思えば頷ける。
■鉛筆sketchに色付けすると↓のようになる。
何かを想いながら大きな荷物を抱えながら汽車を待つ人。
帰りなのか向かうのか?握りしめた切符の先に幸せな笑顔が待っていることを
密かに願いながら描いてみた。
何処にでもありそうな光景に何等かの意味を持たせる作業は
絵本の挿絵を描くようにイメージが膨らんで楽しい。音楽もまた同じである。
■仕草で自信が現われる
街中に独りで居る時は、人は自然にその人の本性の様なものが表に現れる。
それは良くも悪くも無意識なので隠ようがない。観察する側からすればそれが面白くて描いているのだが考えてみ れば随分悪趣味で失礼なことかもしれない。
ネズミ男たち?
■怪しいとまでは言わないが…人の集まる所では、意味不明な人も見掛けたりするものだ。 別に本人の自由で構わないのだろうが、絵を描く者はそれが面白くて描きたくなる(笑) 当たり前